美意識だけは高い負け猫

最近の風向きはもっぱらwithコロナ。カラフルなマスクが夏を彩り、日常が戻りつつあるかに見える今日この頃。
コロナのため会期途中で打ち切りとなっていた、写真家ール・ライター展。渋谷のBunkamuraミュージアムでアンコール開催されだしたので行って来た。で、感銘を受けてきた。

ニューヨークの街のスナップ写真が主なのだけど、ファインダー越しに捉えた世界は、ため息が出るほど美しく、絵画のようで、驚きに満ちていた。

一枚の画像なのに、高画質のハイビジョンで撮影された『世界ふれあい街歩き』の映像よりもずっと心を鷲掴みにしてくるから不思議だ。(『世界ふれあい街歩き』もとても好きなのだけど、良質なBGMという感じで頭を素通りしていってしまいがち)

展示されている文章もいい。美しい空間で、きれいなタイポグラフィーで提示される作家の言葉や人生観は、何かとても価値あるもののように思えてくる。
まぁこういう美術展っていうのは、数多の作家の中からピックアップされたわずかな作家のみが、プランナーやデザイナーたちによってブランディング化され、美しくパッケージングされた上で、多くの一般人の前にお披露目されるわけなんだけど。

とはいえもちろん、そこに一貫した美学がなければ、玄人に見出されることはない。ソール・ライターには、評論家たちの研究材料となる膨大な作品と興味深いストーリー、そして芸術家としての崇高な魂があった。

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『ソームズは時折狂気に見舞われ、私とておよそ正気の沙汰ではなかった。
私たちは一緒によたよた人生を進んでいった。』

これはパートナーについて言及した文章なんだけど、とても好き。この短いセンテンスで泣かせてくれる。私にも一緒になってよたよた人生を進んでいく人がいてほしいわぁと思う。

「ソール・ライターは小さいサイズの写真を偏愛しており、焼き付けた写真を手で小さく破り、それらを「スニペット」と名づけて慈しんでいた。」

『偏愛』という言葉が胸にしみた。やっぱり偏愛がないと、何につけ情熱を傾けることなどできやしない。偏愛がないと面倒くさくなっちゃうもの。そして楽な方に流されていっちゃう。
とりわけ偏愛が必要とされるのが、芸術方面ではないかと思う。普通の人が見過ごしてしまうような些末な事柄に偏愛を見せてこそ、ハッとする作品が生まれるんじゃないかなと。
偏愛が高じて、名前まで付けて、それを慈しむ。その行為は、まさに芸術の生まれる萌芽だ。苦しむんじゃなくて、そんな風に自然と、喜びを原点にして創作活動したい。偏愛だ、偏愛。偏愛を持つんだよ、と自分に言い聞かせる。

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ここでソール・ライターをご紹介。

写真家ソール・ライター(Saul Leiter, 1923-2013)は、1950年代からニューヨークでファッション・フォトグラファーとして華々しく活躍しながら、1980年代に商業写真から退きます。表舞台から姿を消したソール・ライターが再び注目を浴びたのは、2006年、ドイツのシュタイデル社から出版された『Early Color』でした。『Early Color』でのカラー作品が世界的な反響を呼び、当時すでに80歳を超えていたソール・ライターにとって、写真界への実質的な第2のデビューとなりました。
ソール・ライターは、2013年、89歳でこの世を去りますが、住居でもあり仕事場でもあったアパートには、約8万点ともいわれるカラー写真をはじめとする、膨大な作品が未整理のまま残されました。2014年に創設されたソール・ライター財団では、現在進行形で作品の「発掘作業」が続けられているんです。

2017年に大反響を呼んだ、写真家ソール・ライターを再び!「永遠のソール・ライター」展レポート

いち商業フォトグラファーに過ぎなかったのに、80歳を過ぎてから突然芸術家として評価され脚光を浴びるというのが良いよね。夢がある。
そりゃ若い頃から名声と資産を手に入れ、24時間自分の理想を実現し続ける生活には憧れるけれど。
若く瑞々しい容姿のうちから、素材が良く美しい物を身にまとい、手の込んだ繊細で美味しい料理を食べ、素敵な庭のある静かで美しい家に住み、良いものをたくさん見て、それを心の栄養分として、穏やかで洗練された心理状態を保ちながら創作活動に専念する生き方。
どうしてそれができないんだろうという不満は、常に心の片隅にある。
なんでいつも、どこへ行くにも何を食べるにも値段を気にして、お腹を空かせ、安い古着をまとい、生計のため何より大切な時間を切り売りして生きているんだろう、って。
ゴッホのような、生前一枚しか絵が売れなくとも情熱を絶やすことなく創作し続けた人にも憧れるけど、ゴッホとて、弟の援助があったから創作活動に没頭できたのであって。

・・・と、芸術鑑賞に付随してそんな余計なことまでモワモワ浮かんできてしまう最近の私です。純粋じゃないな、と思うけどこれが実情。。

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そんな中ふと思い出したのは、数ヶ月前に、ぱらっと立ち読みしただけだけど心に引っかかっていた文章。

 「偏差値は高いけど美意識は低い」という人に共通しているのが、「文学を読んでいないという点であることは見過ごしてはいけない何かを示唆しているように思います。
 古代ギリシアの時代以来、人間にとって、何が「真・美・善」なのか、ということを純粋に追求してきたのは、宗教および近世までの哲学でした。そして、文学というのは同じ問いを物語の体裁をとって考察してきたと考えることができます。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)

「美意識」という発想はなかったけど、実用書や自己啓発本は読んでも文学は読まない人、YouTubeやテレビは見ても映画は見ない人、何か足らないとしたら確かにそれは「美意識」なのかもしれない。

そしてそのことは、他の芸術全般に関しても当てはまると思う。

生活に必須ではないし、すぐに意味が分かったり役に立ちそうもないこと。

それを寝食を削ってでも味わいたいと思う人の心の内には、何か、「美意識」と言えるようなものが存在しているのではないか。
「美意識」と言うと偉そうに聞こえるかもしれないけど、「美意識」は文学や芸術を追い求める動機を説明するのにかなり的を得た表現なんじゃないかと。

そういえば動物占いで私は「志の高い猿」だったけど、今後は「美意識の高い猫」を標榜するっていうのはどうでしょう。
いや、やっぱりそれだとちょっと気取ってるから、「美意識だけは高い負け猫」にしようか。またぞろ負け猫根性が頭をもたげてきた。でも私の性質を的確に捉えているとは思いませんか。このブログでも、意識高い系の文章を書き散らし、茶化して終わるというお決まりのパターンを繰り返しているのだから。。

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その後、例の如く表現欲がふつふつと湧いてきた私は、ソール・ライターも数多く残してきたセルフポートレートを撮ったりなどした。

「自撮り」ではなく「セルフポートレート」って言うのがポイント。
羞恥心が消え大胆になれる。

人生で今が一番若い時なんだから、これからもっと積極的に撮っていきたい。
今回セルフブランディングの一環で通常より美肌モードですが・・・。

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ちなみにソール・ライター展、普通にチケットを買うと1500円だけど、メルカリだと送料込み300円でわんさか出品されてるんでこの機会に是非・・・。
コロナ禍で美術展などは裏で軒並み価格崩壊を起こしてますね。。私のような貧民にとってはありがたいことだけども(ꙭ;)

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