幸せになるのじゃ。

こんにちは、ArispiAですほっしぃ
5月にひと月ほど、とある山のお寺で住み込みのバイトをしてきました。

ある日ふと、住み込みでちょっと働いてみたいなぁと思い立って、自分は肉を食べないから精進料理を扱うお寺の宿坊がいいなと、ネットで引っかかったお寺に1ヶ月の短期の希望でメール送ったら、ちょうど人が抜けたところだったようで運良く雇ってもらえたので、バイトをお休みして、小さなキャリーケースひとつ持って清浄な空気の漂う山奥の僻地まで。

改めて思う。私には守るべきものが何もない代わり、身軽で、そして自由なんだと。

結果、思い切って行ってみて本当に良かった。

前回のブログで走馬灯について書いたけど、このわずか1ヶ月の間に、人生の最期の走馬灯で必ず流れるだろうなっていう経験をいっぱいさせてもらった。

まとまらないまま書き連ねていくと…

初めての寮生活、見習いお坊さんたちとの共同生活、だんだん足音だけで誰か分かるようになってきて、薄い壁越しに咳やらお経の声やら話し声が子守唄のように聞こえる夜の帳、夜空はびっくりするほど星がきれい。朝の5時半頃にお勤めに行くお坊さんたちの慌ただしい足音が聞こえて、夢うつつでがんばれって思いながら幸せな眠りを貪って。同僚に一人酒好きの人がいて、世界中を旅してる面白い人で、その人が中心になってわりと酒三昧の日々で、ある日私の部屋で賑やかに飲んでたら隣の部屋のお坊さんがキレる騒動があって自粛を余儀なくされたり、東京からはるばる友達が泊まりにきてくれたり、他にもあんなことやこんなことがあって。。。
自分の部屋の隣が祈りの間で、私もよく祈りに行ってて、そのおかげか色々あったけど、人との距離が近すぎて煩わしいこともあったけど、大体ずっと、幸せだった。

働いてる人は私を含め社会で生きていくのがちょっと難しそうな変な人ばかりで、お坊さんも訳ありか変わり者ばかりだったんだけど、それが個性的で面白くて、それでいてとっても純粋で。出会った人みんなそれぞれに愛おしいと思う瞬間があった。

もしかしてこれは、私が遠い過去に取りこぼしてきた青春というものに近いのではないかという気さえしていた。

そうして、あっという間にひと月が経って。

最後の日、「幸せになるのじゃ」と言ってくれた人がいた。心の病で何度か入院していると噂されていた人で、独特な言葉遣いをする。部屋には膨大な量のフィギュアやらドリームキャッチャーやら仏像やらの謎のコレクションが整然と並べてあって度肝を抜かれたけど、そういう自分の世界を追求していくところも愉快で、羨ましく思った。生真面目だけど、思いやりがあって、ユニークな人だった。

その時もさらっと「幸せになるのじゃ」って言ってきて、思いがけずそんな温かいボールを受け取って、語尾に笑っちゃった後、胸がきゅうっとした。今その言葉が何度も浮かんできてしまう。

私もさらっとそんなこと言える人になりたいんだな。

そんなわけで、夏に再び行くことにしたんです。
東京よりだいぶ涼しくて、ピアノも娯楽も何もない代わり清浄な空気が流れている場所。
東京の人混みに酔うたび、山での日々が恋しくなる。

4件のコメント

    1. 読んでくれてありがとう!
      続きなんだけど、、、第二クールは予想を超えるなかなかの濃い日々で、今ここでは語れないこともたくさんあるので、何年後になるか分からないけど脚色を交えて小説にして発表しようと思うのじゃ。。

      1. いいけど。いきなり長編じゃなくて、短編を連載して、最後にまとめあげる、と言う手法もあるよ。君は移り気だしそのモチベーション、維持できないでしょ?

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