どんどん完成させられる人は強いと思う。
たとえ完璧じゃなくても、完成・校了させて、次から次へと世に解き放つことのできる人は強いと思う。
なんで自分はこんなにノロノロしているんだろう。1年前も、3年前も、5年前も、10年前も同じステージにいて、同じようなことを言ってる気がする。これじゃいかんと急に重い腰を上げてなんやかんや動いたりはしているんだけど、前には進んでなくて、ずっと同じ所で足踏みしている。景色が変わっていかない。
やろうと思っているTo Do Listがどんどん積み重なって、ほっておかれて、旬を逃し、ついに葬られていく。思い付いた事を片っ端からどんどんこなすことができていれば、自分はもっと高みに登っていけたのに。目の前の好奇心を満たすコンテンツに時間を溶かしているうち鮮度を失い、しなびてしまった生花たち。
・・・とまぁ、いつものごとく突然の焦燥感にかられ、とりあえずこの秘密のお家の下の方にあるフキダシコーナーを、インスタのストーリーの要領で24時間限定で更新していくという試みを思い立ったわけです。アウトプットを習慣化させるための策。最初は毎日更新のつもりだったけど、さすがに毎日はハードルが高すぎたので、なるべく頻繁な更新に方針転換したけども(ꙭ;)
ライブの感想文も全然書けてない。年に数回という亀の歩みの音楽活動であるにも関わらず。印象深い出来事であればあるほど、細部に渡るまで取りこぼさず完璧に記したいという欲望がわいてしまい、心理的ハードルの高さから取りかかれずに終わる。素敵な出会いの数々や残念な失敗のあれこれについて、おもしろおかしく情感たっぷりにここに書き残しておきたかったのに。すっかりタイミングを逃してしまった。こんなことになるぐらいだったら、熱の冷めないうちに短くサラッと書いておけばよかった。
完璧主義と怠惰のコンボほどタチが悪いものはないと思う。これまでの人生で何度もこいつに苦しめられてきた。あらゆる作品、文章も曲も、8割の出来を目指すべきなんだよな。2割のスキが魅力になる可能性だって大いにあるのだから。完璧なんて全然目指すべきじゃない。それより何より時機を逸することほどもったいないことはないと、毎日耳タコで自分に言い聞かせたい。
▲:::▲
2024年7月4日、お馴染み八王子papaBeatで約5ヶ月ぶりのライブでした。

共演は私以外はギターの男性。三名とも硬派な漢字のお名前。青木伸吾さん、藁粥凌さん、福田優史さん。前回も共演した青木さんには帰り際にうれしい言葉ももらえたし、藁粥さんと福田さんとは終演後も色々と話せて楽しかったな。
しかし自分は相変わらず本番で上手く喋れず。歌えず。ぎこちなく。。帽子かぶったら照明が遮られて集中できるかなと思ったんだけど、特に変わらず。むしろキャップのツバが時折マイクに当たって演奏中ヒェってなった(ꙭ;)
私も今度から福田さんみたいにMCのカンペを用意しよう、そうしよう。福田さんは5年ぶりくらいに音楽活動を再開したとのことで、本業はドラムだけどベースもできて、最近はギター弾き語りに挑戦しているという(すごい)。曲調は星野源みたいなちょっと凝った作りでジャカジャカ系じゃない優しいポップ(語彙)でよかった。ライブ慣れしていないところに勝手に親近感を感じ、自分も同じくがんばっていきたいなという前向きな気持ちになった。
藁粥さんは喋ると謙虚だけどステージでの立ち姿が堂々としてギャップがかっこよく、喋りも慣れてて力が抜けて面白いのがうらやましかった。リハから一人だけ声量というか音量が大きくて、弾き語りだけどバンドサウンドのようだった。トリにふさわしい華やかさ。
青木さんは教師を引退し還暦から音楽活動に力を入れ、先日70歳の古希記念ワンマンライブを行ったとのこと。本当にすごいと思う。MCも上手でほっと安らぐステージ。自然体できれいな声が出せるしギターの音色も美しい。思ったのは、私が70歳になった時、果たして音楽活動をしているんだろうかということ。ピアノも歌詞も間違えず伸びやかな声が出せるんだろうか?ちょっと無理なんじゃないかと思った。でもそうなっても私には文章や絵が残るぞと思った。
▲:::▲
ところで、いつもライブに来てくれる方が毎度長文で感想を送ってくれるのだけど、それについても本当にすごいと思う。共演者の方々とも積極的に交流して、わずかな時間で作家性まで考察しちゃう豊かすぎる感性に驚く。自分は仕事運はからきしだけど客層(約一名だけど)には恵まれてると思う。(以前よく来てくれてた方もメモを取って感想を伝えてくれるなど知的レベルが高かった)

振り返ってみると、これまでのライブ活動において、他の共演者の方が呼んだお客さんから自分の音楽についてまともな意見を聞けたためしがない。自分から話しかけて、お世辞のような一瞬のお褒めの言葉をいただけたことはあったかもしれないけど、突っ込んだ具体的な感想をもらえたことは一度もない。その事実に気付いて愕然とした。
一度のライブにつきお客さんは1人〜多くて5人位しかいたことないし、こなしてるライブの本数が少なすぎるとはいえ、ただの一度も共演者以外の人から純粋な興味を持たれた経験がないって、私のこれまでの音楽活動って一体(がーん)ってなった。。ミュージシャンではない通常のお客さんというのは基本的に、目当ての人の演奏だけを聴き、その人とだけ話し、そそくさと帰っていくのだった。
恥ずかしがり屋さんが多いなって思ってたけど、ただ単に、知り合いでもなく人間的魅力にも乏しい素人の音楽に興味を持てないってだけか。分かる。私も、興味の持てない素人ミュージシャンの詰め合わせに2500円とか払うなら、その倍のお金を出してプロの演奏を聴きたいなって思う。(錯乱)
全く初見の出演者全員の音楽を真剣に聴いて、しっかり咀嚼して複雑な感想をフィードバックしてくれるお客さんて、実はものすごい貴重な存在なのではないかと思い至った。もはや天然記念物のような神々しい存在。ジュゴンとかユニコーン並みに。これからジュゴンさんと呼ぶことにします。
△:::△
ジュゴンさんは大変な映画好きで、「次いつ見れるか分からないから」と、未公開映画の上映イベントに足繁く通うような人だ。対して私は、映画は基本的に評価の高い有名な作品しか見ない。自分の人生の残り時間は着々と減っていっているのに新作が次から次へと封切りされ積み上がっていく中で、そんな誰も知らない未公開作品まで見ている余裕なんてないと思ってしまう。未公開には未公開なりの理由があるんだ、賞を取るような作品と比べてアラが目立つし、お金を払ってまで見るほどのレベルではないということなんだ、と内心思っていた。
そこで、はたと気付く。あ、これってアマチュアのミュージシャンのライブについて世間一般の人が思っていることと同じじゃないか?と。そんな大多数の人と違い、ジュゴンさんは映画に対する態度と同じように、世界の端っこに転がっている無名のミュージシャンに対しても真剣に向き合い、その作家性を読み解くことに喜びを見出してくれる。
こういう人こそブログをやって、世に埋もれた音楽や映画作品に光を当てた文章を書いて、全世界に公開すればいいのにと思う。それで救われる人、心の糧にできる人はたくさんいると思う。でもそうするつもりはないと言うので、私が代わりにここで発表していこうかと思った次第。「自由に書いて」という言葉をもらえたので、私が代理してこの場に残しておきたい。
▲:::▲
ミュージシャン同士で感想を伝え合って、褒め合い、健闘を讃え、切磋琢磨する。それはとても喜びにあふれた輝かしい時間だ。でも、自分のライブに来てくれたからお礼にその人のライブを聴きに行くというような、仲間同士の義理で回っている内輪ノリの狭い世界でもある。ライブハウス界隈って実はとても閉鎖的なんだよな。よく言えばアットホーム。良さもあるけど、寂しさもある。同じ芸術系でもアート界隈とか物作り界隈は、まったく畑違いの純粋なお客さんが外からたくさん入って来ている。それはやはり、間口が広いっていうか、入場料が無料だからだと思う。
チケットが売り切れる人気の公演でもない限り、入場料を払わずとも誰もがふらっとライブハウスに音楽を聴きに来れるようになればいいのにと思う。不特定多数の人に見られることを嫌がる出演者もいるかもしれないけど、お客さんがほとんどいない状況よりも、たくさんの人が出入りして短い時間でも聴いてくれた方が、自分の音楽を気に入ってくれる人に出会える確率が少しでも上がるわけで。
おしゃべりは控えてもらいつつも活気のある風通しの良い空間にしたい。間口は広くしておいて、後から各自の経済力の許す範囲で、飲食物や商品を買うという形でライブハウスにお金を落とすシステムにはならないものかな。今のシステムだと、どんなに素晴らしいミュージシャン達のブッキングライブであっても、お客さんが二、三人という事態が頻繁に起こりうる。下手したら0人。この現状はやっぱりおかしいと思う。客をたくさん呼べるのは、音楽性うんぬんより容姿の魅力的な若い女性ばかりだったりする。ライブハウスでお金を払う価値というのは、生の音楽に触れることよりも、魅力的な異性と間近で交流することなのか?と、日々疑問は募っていった。
△:::△
ライブハウスの閉鎖性については10年以上前から気付いていたことだけど、最近になってそんなライブハウス業界に一石を投じるような起業アイデアを思い付き、それについて妄想するようになっていった。そんな折にタイミングよく募集していた八王子市主催の共創プロジェクト。観光スポットも兼ねて高尾らへんに作りたいぞ!私は熱い思いをしたためて応募した。しかし結果は落選でちょっと落ち込んだ。

入場料・ノルマなしの古着屋併設のライブハウス。上記に加えて、出演者がステージ衣装として古着を無料レンタルできるっていうのはどうかな?とか、ふくらむ妄想。演者がステージで着た服は、本人サイン入りのタグを付けて、ステージ着用のコーナーに商品として再び並べるのだ。お客さんはそのミュージシャンのことを知らなくても、古着を通じて興味を持ってYoutubeを見てみたりするかもしれない。「あー、この服を着て、こんな歌を歌ってたんだ」などと不思議な縁を感じて、その同性ミュージシャンを好きになるかもしれない。それは若い女性シンガーソングライターにおじさんが群がるのとは異なる光景だし、若者の青春を彩る素敵な体験になるかもしれない。
・・・あっ、おじさんが女性ミュージシャンの服を買ってしまうこともありうるのか!まぁ一回着ただけの服を誰に買われようとそんな嫌じゃないと思うけど、女性割とかにしようかな(ꙭ;)
▲:::▲
年をとるにつれ妄想が落ち着くどころか激しさを増しているような気がしている今日この頃。苦しみの根源は頭の中がごちゃごちゃしていることよりも、この豊かな妄想力が全く「お金」という形で実を結ばない点だ。ライブハウスについて毒を吐いたのも、お金がなくてチケット代や出演ノルマが苦しくて、ライブハウスに聴きに行くことも出演することもままならない自分自身への苛立ちからだ。かといって労働もしんどいし、就職もできない、したくない。この世からお金がなくなればいいのにと本気で思ってしまう。普通の人が全然悩んでいないところで壁にぶち当たっている気がする。
人の「家にお金を入れてないの?」っていう言葉が怖くて、家賃7万の一軒家で一人暮らしをして困窮して、少ないバイト代で足りない分は親を頼ったりしている。買い物とか送り迎えとかお手伝いをして毎月5万円くらいもらったり、食料を分けてもらったり、車にガソリン入れてもらったりしてる。自立してなくて、自分に自信がない。みんなから暗に見下され、冷ややかな視線を浴びせられている気がする。
私はすみません、普通に働いても迷惑かけてばっかりなので、ここはひとつ創作活動に専念させてもらってもいいですか?自分、アーティストなんで。って、そんな風に開き直れたらなぁ。「社会の義務を果たしてない怠惰な人間がいい曲なんて書けっこない」って声が聞こえてきて、また縮こまる。被害妄想は困る、創造力が削られるから。
△:::△
そんなこんな、近頃も相変わらずの負け猫ライフでしたが、先日、新曲『君がいてくれてよかった』を校了させ、ライブとYouTubeの方でおひろめできました。そして今日、8ヶ月ぶりにこのブログも更新できました。
妄想が変な方向に暴発したりしないよう、自分自身を攻撃しないよう、こうゆう形で発散させてがんばろうと思う。ほんとはまだあと3つほど書きたいくだりがあった。①『アリスピア』という名前が来年開始のアニメ番組で使われることを知ったから今年中に改名したい話。②ライブのあった7月4日は、長野オリンピックの年に25歳という若さで末期癌の闘病を経て亡くなったモーグル選手の森徹さんの命日だった話。③無名の映画作品は見ないと言ったけど、チケットを譲ってもらったから行った渋谷の未公開映画の上映イベント(はみ出し者映画の特集イベント「サム・フリークス 」にてトニ・コレット『クロック・ウォッチャーズ』)にいたく感動した話など。ただでさえ冗長なブログが脱線しまくって恐ろしく長い代物になってしまうため、今日はここらで校了しなくては。8割の出来で納得しよう。それにしても私という月は何処へ向かうのかな?唐突感が出てもいいからここらで締めよう、そうしよう。
あうとぷっとあうとぷっとあっぷっぷ。
了
:
:
:
:
:
:
【おまけ】
ふと見たら追加されていた『AIアシタント』なる機能を使ってみた。書いたブログ記事に対してAIアシスタントさんが優しく丁寧に講評してくれる。すごい時代になりましたよね。もっとアドバイスしてほしくば有料コースに登録せよとのこと(ꙭ;)

:
ジュゴンさんに感謝の言葉を忘れていました。
ありがとうございます。
君がいてくれてよかった!