普段ほとんど腹を立てることのない温厚な私ですが、ムカつくことがある。神風特攻隊のことを思うにつけ、ムカついてしょうがない。
支配者はいつだって安全な所からあれこれ指示するだけ。戦争では若者が犠牲になる。なぜなのか?
なぜ死へのダイブを強制された特攻隊は、老い先短い中高年ではなく、まだ遥か未来のある10代、20代の青少年で編成されたのか?
どう考えてもおかしい。
「手柄など立てなくていいから 誰かに負けたっていいから
そのままのあなたでいいの 早く 帰っておいで 」
世界でも類を見ない狂気の沙汰の自爆作戦であったけれど、退役軍人たちが最後に一花咲かせる特攻隊であれば。自殺願望者や余命宣告者や凶悪犯を集めていたら。まだ納得がいく。しかしそうではなかった。これからの日本の立役者となるべく、夢や希望に満ちた健康でピカピカの若者たちが、上からの命令によって、肉弾となって散ったのだ。
どうせ負けたのに。最後の局面で無駄に4000人の尊い命が消えた。敗戦濃厚だったにも関わらず、後先考えず、半ばやけっぱちで考案された戦術。全く意味がなかった。意味がないどころか、その狂気じみた攻撃によってアメリカ軍に「日本人は残忍でサイコパス。話が通じない。」と思われて、原爆投下に至った節もある。
さっさと降参していれば。上層部の誰かが「自爆作戦?さすがにそれはやめておいた方がいい。後で責任問題に発展し、我々の立場が危うくなりますよ。戦況はもうどうあがいても厳しいです。このまま戦い続ければさらに多くの犠牲者が出ます。一刻も早く降伏することが一番、被害を少なくする方法です。」などと、賢明な提言をしていれば。。
安全圏にいるのをいいことに、ゲームに勝つため人の命を駒のように扱って殺したこと。本当にムカついてしょうがない。
かつて福岡に『振武寮(しんぶりょう)』と呼ばれる、事故や機体不良で帰還した特攻隊員を軟禁し、再び出撃させるため精神教育という名の苛烈な虐待が行われた施設があった。まったくもって戦争は人を狂わせる。”卑怯者の人間のクズ” とはいったい誰のことか。
「貴様ら、逃げ帰ってくるのは修養が足りないからだ」
「軍人のクズがよく飯を食えるな。おまえたち、命が惜しくて帰ってきたんだろう。そんなに死ぬのが嫌か」
「卑怯者。死んだ連中に申し訳ないと思わないか」
「おまえら人間のクズだ。軍人のクズ以上に人間のクズだ」
こんな屈辱的な言葉を、酒臭い息をプンプンさせた参謀から連日投げかけられるのです。「不忠者!」と怒鳴られながら竹刀でめった打ちにされる、なんていうことも日常茶飯事でした。こんな侮辱って、ありますか。我々特攻帰還者は、生きていてはならない存在なのだ──。
幽閉生活を過ごすなかで、私はそう確信しました。華々しく戦死したはずの特攻隊員が生き残っていては、軍上層部としては困るのです。
出撃前には「軍神」と呼ばれ、生き神様として扱われた我々特攻隊員でしたが、生き残るや一転、国賊扱いとなったのでした。
80年前、志願という体を取りながらも上からの有無を言わさない『命令』により、飛行機ごと体当たりし若い命を散らした特攻隊員。6年前、新しい元号が『令和』だと発表された時、私は不穏さを感じた。『命令』の『令』が使われているから。国家に忠誠を誓い命令に従えよっていう願いが込められてるんじゃないかって疑った。支配者の思い通りになんかさせない。誰かに命令されて戦ったりしない。二度と悲劇を繰り返さない。命は誰のものでもなく自分のものだ。
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命の価値は平等だ。平等だからこそ、残り寿命による優先順位というのはやはりあるのではないだろうか。
家族を養っている社長の50歳の父親と、まだ一度も恋が成就したこともない学生の20歳の息子がいたとする。その場合、20歳の青年の命の方が優先されるべきだ。目先の利益だけ見て父親の命を優先してはいけないんだ。やっぱりそう思う。自分も日に日に年老いて若さから遠ざかっているけど、高齢の賢者はたくさんいるけど、それでもやっぱり長く生きているからって、財力や権力があるからって、なんにも偉くない。失われたら「もったいない」のは、まだまだ長く使うことのできる新しい方。これからの未来を担う若い命の方が優先されるべきなんだと思う。
2歳の幼児と20歳の若者だったら?これは難しい。「まだ物事の分別がつく前なら」「悲しむ人が少ない方が」とか思ってしまう。考えたくもないけど、でもやはり大きな括りからすれば「年齢が少ない順」を大前提とすべきなんじゃないか。『トリアージ』(災害時に多数の傷病者が同時に発生した場合、傷病者の緊急度や重症度に応じて適切な処置や搬送を行うために、傷病者に治療優先順位を決めること)という考え方があるけど、究極の選択の場合、地位や権力なんかじゃなくて「残り寿命」という基準だけで選んだ方が公平で健全だ。それに若者が腕力を武器に老人子供に傍若無人に振る舞うのも絶対に阻止したい。
「いちばん弱い命がいちばん強いカード」というのは、いいなと思う。
命を選別するなという意見もある。もちろんそうだ。全ての人が助け合って幸せに命を全うしてほしい。でも命の優先順位。その大いなる自然の摂理を自分勝手なエゴで捻じ曲げたら、しっぺ返しがあるんじゃないかな。やっぱり。
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極端なことを言いすぎた。つい過激な発言をしてしまうので反省している。普通に誰だって自分や自分の大切な人が一番大事。私もそうだ。それでも、人を騙したり追いやったり蹴落としてまで自分だけがいい思いをしなくていい、現世利益にしがみつかなくてもいいと思える人になりたい。
そのための方法として私が採用しているアイデアが、『死後の世界』である。
死で終わりじゃない。その後も人生は続く。そう思えば少し、いやかなり救われる。それに先々のため襟を正し善行を積もうと思える。だから私は死後の世界を信じることにしている。
天国のゲートで白い大きな翼の生えた案内人に笑顔で迎えられて、
おつかれさまでしたー!あなたけっこう善行ポイント高いですよ。怠け癖は減点だけど、まぁこれといった悪行もなく、ブログによる発信も意外といろんな人にいい影響を与えてます。たくさんいじめられたけど、自分は弱い立場の人に同じようにはしなかった。あなたが思春期の頃、認知症のおばあちゃんに浴びせた暴言はひどかったですけどね。その後はそこそこがんばりました。
これから前世の細かい検証があるんですけど、とりあえず最低ポイントを上回った人たちでパーティーが開かれるんで、そこで存分に楽しんでくださいね〜♬.*゚
とかなんとか言われて、お好みの容姿に変身したら、まず同期死者のみんなと、世にも美味しい不思議ドリンク片手にウェルカムパーティーが開かれるものと信じている。
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幼少期から、映画や小説や漫画やテレビなど、あらゆる媒体を通じて『戦争=絶対悪』だとしつこいくらいに刷り込まれたおかげで、筋金入りの平和主義者になった。『火垂るの墓』にショックを受け、『はだしのゲン』や『風が吹くとき』の描写に怯え、ジブリ作品や手塚治虫の漫画に平和の尊さ、争いの愚かさを感じ取った。
19歳くらいの時に見た映画『ジョニーは戦場へ行った』ではトラウマを植え付けられた。戦場で手足と目と鼻と口を失い、視覚も聴覚も味覚も嗅覚もなくし、あるのは触覚だけ、歩くことも書くことも喋ることもできなくなったジョニーが、誰とも意思疎通できず妄想と絶望の中でもがき苦しむ話で、本当に打ちのめされた。死ぬよりもっと残酷な運命に叩き落とされる人をたくさん生むのが戦争。絶対に戦場には行きたくない。誰一人として行かせたくない。そう思った。
しんどいけど是非見に行ってください。
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日本のテレビでは終戦記念日になると決まって反戦をテーマにした映画やドラマが流れる。海外ではいまだどこかかしらで愚かな戦争を続けているけど、こと日本に限っては二度と戦争なんて起こさない。もし日本が戦争に突き進むような事態になれば、国民は一丸となって反対の声を上げるだろう。隣国のような徴兵制度すら絶対に無理。ものすごいデモやストライキが巻き起こるはずだ。そこは本当に心強い。日本にいれば大丈夫、そういう安心感がこれまであった。
ところが最近になって、決して自分は前線で戦わない過激な右派の勢力による不穏な動きが見られる。愛国心は私にもあるけれど、「美しい日本を守ろう!」みたいなスローガンには危機感を抱く。どんなに耳に心地よいことを言っても見え隠れする危険思想。有事であれば若者を戦場に送り出してもいいという考えには断固として反対だ。絶対に戦いたくない。戦うくらいなら白旗をあげる。負けるが勝ちだ。
核武装…!?防衛費増額?防衛費は2022年に5.4兆円から2025年には8.7兆にまで増やしたというのに、まだまだ増やし5年間で43兆円も増やすとかとんでもないことを言っているのだ。その莫大なお金をまるまる国民に配ってほしいし、あるいは「防衛費は上げずに難病・癌・認知症の研究に充てます!」って世界に向けて宣言してもいいかもしれない。すごい賞賛されると思う。
それから日本は「唯一の被爆国」というすごく強いカードを持っていて、非核三原則を提唱した佐藤栄一が1974年に、原水爆被害者団体が2024年にノーベル平和賞までもらっている。日本には核武装しなくてもいいレッキとした理由があって、絶対に飲み会に参加しない会社のあの人みたいに、絶対に核を持たなくていいキャラ設定があるのに、他国の真似をしてその美味しいキャラを捨ててしまったらなんてもったいないのだろう。アメリカからの圧力と他国への対抗心で勇ましく大軍拡に走ったところで、日本から崇高さが消え、インテリからの賞賛も失って、ただの弱小国になり下がってしまう。
防衛費増額なんかより、やるべきことがある。経済の立て直しもそうだけど、長い目で見たら文化・芸術・テクノロジーの発展に投資すべき。誇れる日本は軍事強国ではなく文化・文明強国。
世界中の人々が、
日本を攻撃したら日本の漫画や音楽や文学や旅行が楽しめなくなるし、難病も治してほしいからやめとこ。
日本人の知性と創造性は世界にとって決して失ってはならないもの。日本だけはなんとしても守らなきゃ!
って、そういう風に思ってもらうことが、最大の国防だと思うのだ。
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そんなことを言うと「脳内お花畑」などと揶揄する人がわいてくる。
でも50年以上前にもいたね、そんな脳内お花畑な人が。日本人と結婚した音楽家のジョン・レノンって人なんだけど。現実離れした「反宗教的、反国家主義的、反伝統、反資本主義的」の過激な思想を歌っているにも関わらず、多くの人の共感を呼び歴史に名を残した『イマジン』。『イマジン』はいまだに名曲と崇められ、オリンピックとかの世界の大舞台で歌い継がれている。これってすごいことだと思う。
地獄はなくても天国はあってほしいけどな。
ジョン・レノンがオノ・ヨーコから思想面で影響を受けイマジンを作ったのが、『ジョニーは戦場へ行った』が制作されたのと同じ1971年。ベトナム戦争へのアメリカ国民の怒りがピークに達していた頃だ。国境も宗教もない世界で、争わず独り占めせずみんなで全てを共有し分け合って暮らせばいいのにって、昔はそれはちょっとやりすぎなんじゃないかとも思ったけど、今こんだけ歪みまくった世の中にいると、もはやそれが最適解なんじゃないかと思う。国境も宗教も金も地主も広告もなくなって、すべての人がドラッグなきLOVE&Peaceで助け合いながら、より良い世界と自己実現を目指すユートピアを生きてみたい。
いっそ宇宙人がやって来て地球に宣戦布告してくれればいいのに。そしたら戦争なんてパタっとやめて、世界中の人々と協力し合えるのに。その際に宇宙人が、
数年後にまたやってくるけど、その時もし今みたいに殺し合いとか低レベルなことやってたら、我々と外交する価値はないって判断して地球を乗っ取るから。
武器を作っても無駄でーす。こっちにはタイムマシーンがあるんで!
などと言ってくれると助かる。「低レベルとはなんぞ?どうしたらいいんや?!」って各国首脳会議で論争が巻き起こり、必死になって世界中が手を取り合って平和と文明の発展を押し進めて、人類はみんな急に生き生きと輝きだし、狂騒の中これまでの停滞が嘘みたいにすごいスピードで人類が進化する様をこの目で見たい。
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終戦から80年を迎えた今、改めて思う。多くの尊い命を奪う戦争は決して繰り返してはならない。
日本の戦争の歴史を振り返ると、その愚かしさに呆れるばかりだ。戦国時代の刀による一騎討ちから第二次世界大戦の原爆の悲劇に至るまで、人類はどれほど無意味で残酷な行為を繰り返してきたか。当時はそれが常識だったのかもしれないけど、今となっては「なんと野蛮な時代だったのか」と思える。
さらに百年、千年後には、現在の常識がありえないと非難される時代が来るかもしれない。たとえば動物を殺して食す習慣が、栄養価の高い代替食材の普及によって過去のものとなるかもしれない。未来の人々は現代の私たちを「肉を食べるために生き物を殺していたなんて、なんと野蛮だったのか」と驚愕するかもしれない。
でもどうしたら遠い未来じゃなく、今すぐに合法の殺人がなくなるのだろう?考えては悶々とするけど、一人の力は無力のようで侮れない。書いたり喋ったり歌ったり賛同したり投票したりすることで、変えていける。批判されたり馬鹿にされたりしてもいい。無関心は嫌だ。安全地帯で無関心を決め込んで綺麗に生きているように思っていても、その生き様は遠くから見るとすごくグロテスクなんだ。
アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族を淡々と映す映像に戦慄する。
『関心領域』、という邦題から抉ってくる。
自分の心を守るために隣の惨劇には無関心を決め込んで平穏な生活を営むことが、外野から見るとこんなにグロテスクなのかと驚く。そんなの今もみんながやってることなのに。
多くの人にとって限られた時間とエネルギーは、愛すべき家族や仲間たちとの穏やかな日々や、趣味や楽しみ、目標に向かって邁進するためなんかに費やしたいものだ。暗いニュースは深掘りしないし、自分の世界観が崩れるから発信しない。全部スルーして、整えられたきれいで楽しい関心領域だけをアウトプットする。そして、社会問題に関心を持ち憤ったり批判的な発言をする人を遠ざけたり揶揄してしまう。
汚いもの、怖いもの、嫌な気分になるものはなるべく排除して、美しいもの、お気に入りのものだけに囲まれ、幸せに生きたい。言われてみたら私だってそうだ。私だって。
じゃあどうしたらいいのかと考える。
関心領域を広げたら大事にしてるものが脅かされるのではなく、未来に恩恵があると信じられればいいのかもしれないと思った。
ネガティブから、ポジティブ変換。
あともう一案。こんなこと言うと宗教っぽくなってしまうかもしれないけど、関心領域を広げないでいたら、いつか痛い目に遭うっていうのは?
例えば来世、無関心を決め込んだ人の立場に生まれ変わるとか。
そう、私は死後の世界だけじゃなくて、その先、生まれ変わりの来世も信じることにしているのだ。何百回、何千回と生まれ変わる中で、いじめたり、差別したり、無関心を決め込んだ人の立場に必ず生まれ変わるものだと思っている。そう信じられれば、人種とか容姿とか生まれで見下したりしなくなると思うんだけど、どうかな?
韓国人や中国人やアラブ人ユダヤ人、黒人や白人や中東ヒスパニック人になる人生がある。金持ちの家に生まれることもあれば貧乏の家に生まれることもある。親に虐待されることもあればたっぷり愛される人生もある。背が高かったり低かったり、髪がフサフサだったり禿げたり、美人だったりブスだったりあらゆる容姿の人生があり、病気で早死にする人生もあれば100歳まで大往生する人生もある。事故や災害に遭う人生もあれば、九死に一生を得る人生もある。魂は同じなんだけど、自分の努力ではどうすることもできない要素はランダムに決まる。
死後の世界にて「次はハードモードの人生だけど、精一杯生きる」と決めて、あえて障害の多い人生を選んで生まれ変わるかもしれない。「おぎゃあ」って生まれた瞬間、全て忘れてしまうのだけど。

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輪廻の旅は果てしなく続く。直近でまずは残り数日〜数十年の儚い今世が終わった後、あの世で穏やかな笑顔で迎えられたい。できれば「平和のために良い仕事をしたね」って褒められたい。そのために今、平和を願い、わずかながらでも行動に移したり善行を積みながら、死後の世界に向かって行こう。戦争の歴史を断ち切り、すべての命が輝く未来を信じて。
“You may say I’m a dreamer (あなたは私を夢追い人だって言うかもしれない)”って50年以上前に歌ったジョン・レノン。
いや、平和を願う夢追い人、ドリーマーってかっこよくない?
年取ったら夢追い人から夢老い人になって、いつまでも夢を見ながら平和を願う。理想の老後だな。
ArispiA

