「すかしてない」或いは「非日常」について。

とある友人から、「すかしてない」という評価をもらった。すかしてないところが私の良さなのだという。世の中にはすかしている人が多いのでつまらない、若者はだいたいすかしていると。

「すかしている」とは?

自分のライブ演奏の動画を見てみると、妙な表情の人間が写っている。変顔に近いと思う。どうしてこんな滑稽な感じになってしまうのだろう。昔の方が緊張で固まっていた分まだマシだったと思う。ちょっとミスするたびに顔をしかめたり、自信のなさを誤魔化すような半笑いは本当にやめた方がいいし、随所に怪しい動きが挿入されたMCなどは目も当てられない。

他の人の演奏を見ると、これが「すかしている」ということなのだろうか。終始冷静な感じ、時折キャッチーな笑顔や切ない表情を織り交ぜるなど、振る舞いがスマートにコントロールできているように見える。緊張しているそぶりすら可愛らしいスパイスだ。落ち着いて演奏をやり切り、舞台を降りる彼ら彼女らエンタテイナー。私も安心してそのステージに身を委ねることができる。

やっぱり、すかした方がいいのだろうか。多少なりとも自分を格好良く演じた方が。ああ、そういやこのブログやSNSなどではけっこう私はすかしてる。思った通りの自分を演出するべく、ちゃんとすかすことができている。問題はリアルだ。声も言葉も動きもまるでコントロールできない。ボケとツッコミならボケなんだからと自分を甘やしてきたこれまでの人生。ごくたまにウケてくれる人もいるけど、盛大にすべった時の冷ややかな空気には耐えられない。

とはいえ、せっかくの友人からの評価を大事にしたい気持ちもある。

すかすすかさない、どっち?

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先日YouTube投稿したら過去数年で一番バズったヤモリたんショート動画。投稿後5時間で視聴が1000回を超し、その後ピタッと伸びが止まったアルゴリズムの悲哀。。

ヤモリは、すかしてないと思う。あざといくらい可愛い仕草や表情をするけど、決してすかしてはない。格好つけようなどとは微塵も考えていない、ありのままの姿だ。一生懸命で、天然で、ちょっと笑えて、いじらしい。

猫もそうだ、猫も…と言いかけて「待てよ」と思う。猫は多少すかしているかもしれない。格好つけようなどとは微塵も考えていない、ありのままの姿ではあるけれど、すかしてると言われればすかしているかもしれない。思えば思うほど、すかしてる気がしてきた。

犬に比べると分かりやすい。猫は確実にすかしてる。すかしているからこその、愛らしさがある。この気づきには驚いた。媚びへつらわずとも、テンション低くとも、いよいよ冴え渡る猫のカリスマ。猫の人たらしの術。

私は自分のことを負け猫系だとか、ArispiAの最初と最後の大文字のAは猫耳を表してますだとかちょいちょい猫アピールしていながら、痛恨の猫じゃない感。そもそも、猫の曲なんて1個くらいしかないしな。

アレヨピア
アレヨピア

ArispiA、コンセプトブレブレ。。

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いろんな人がいろんなことを言い、その度に私は驚いてオーバーリアクションをしてしまう。さまざまなあれやこれやが心に引っ掛っかり、変に増幅しやすい。心に引っ掛かることが多すぎて、逆に大事なことを見落としたり、どんどん埋もれ忘れていってしまう。だから記さねば。

ある人は、「アマチュアのライブを見に来るお客さんというのは非日常を味わいたくて来ている」と言った。プロではない無名のオリジナル曲のミスなど気づかないし、演奏の不出来も実はほとんど気にしてない。それよりも、演者が作り出す非日常を味わいに来ているのだと。

「非日常」とは?

きっとめちゃくちゃ重要なワードだ。旅行?クリスマス?ラブロマンス?

そこではたと気づく。自分自身が、リアルで非日常をほとんど味わえていないことに。

小説も映画も、結局のところ全部リアルじゃない、バーチャルじゃん。プロのライブに最後に行ったのはいつだっけ?姉にチケットをもらったからと誘われて行った去年のマツケンサンバは抜くとして、最後は2020年1月4日、コロナ寸前のエレカシ新春ライブだ。それもエレカシの熱狂的ファンの友達に誘われて行っただけであり、豆粒みたいであまりリアルじゃなかった。自分の意思で選んだのは2017年の国立地球屋、知久寿焼さんや青葉市子ちゃんのライブが最後だ。あれはよかった。最前列で陶酔した正真正銘の非日常。

旅行は?2019年の香港が最後だ。あれもよかった。一人旅で寂しかったけど、新鮮で、自由で、幸せだった。

そしてコロナが始まり早5年。今思えば、このチャンスの5年間にいろんな非日常を味わいに行けば良かったのに、一人暮らしを始めたためお金がないという理由で、ほとんどどこにも行かず引きこもっていた。お金などいくらでも作れたのに。

音楽活動におけるライブ出演は非日常じゃないのかって?

否。「非日常」の定義として、「ワクワクする」が一番大きいと私は考えるので、ライブは含まれない。「ああ、また醜態を晒すのか」「一か八か」そんなマイナス思考が膨らみ、ライブ前はずっと憂鬱だ。これではまるで苦行みたいだと思う。いざその場に行きさえすれば、それまでオロオロしていた心は周りの刺激でざわめき立ち、やたらハイテンションに振る舞うのだけど。

なんなんだろう。せっかくの非日常を自分のマインドのせいで楽しみきれてない感がある。そこに浸りきって心を開放し感動できる予兆はあるのに。

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子供の頃、クリスマス・コンサートに行ってワクワクした思い出が強烈に残っている。友達や家族とおめかしして遠出し、途中の雑貨店でスノードームを平面化したような豪華なクリスマスカードを買ってもらった。振るとキラキラのパウダースノーが舞い落ち、オルゴールの音色が流れる。うっとりした。

会場ではピアノやエレクトーンによる様々なクリスマス・ソングの発表が行われる中、突然のサプライズ。場内が暗転し、ノリノリの音楽にのってスポットライトを浴びたサンタさんが客席に降臨したのだ。キャーと歓声が沸き起こる中、カラフルなセロファンに包まれたお菓子が配られていった。

あれは私の定義するところの完璧な非日常だった。あのキラキラとした高揚感、多幸感をまた味わいたい。

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日常に戻ろう。今はそうだ、演奏よりもMCの練習をした方がいいとのアドバイスに従って、紙にしっかりセリフを書いて、ぬいぐるみ相手に繰り返し練習しなきゃいけないんだった。ぬいぐるみ相手にMCの練習するの手間だしまだやってないけど、やりますと言ったからにはやらねば。

非日常へのハードルがやたら高い自分が、果たして誰かに非日常を与えることなんてできるんでしょうか?圧倒的カリスマの持ち主、サンタクロースのようにはなれないけれど、赤鼻のトナカイにはなれるでしょうか?

すかしてる、すかしてないの「すかすか問題」についても考えを巡らせつつ、一日一日を大切に過ごしたいと思います。

・・・ってもう師走・・・なの?

I Wish My 非日常

I Wish My 非日常

I Wish My 非日常 And A Happy New Year♪

ブライアン・ウィルソンのWe Wish You A Merry Christmas♪ 最後のロック転調に沸き立つ!
誰にも聴かれてないけど大好きなJon McLaughlin『クリスマス気分』
これも好き、サックスの音色がたまらないJon McLaughlin『Merry Merry Christmas Everyone』
大好きBen Folds『ロンリークリスマスイブ』
こちらも孤独で沁みる大好きジョニ・ミッチェル『リバー』。クリスマスで浮かれる小さな田舎町、凍った川を軽やかにスケートして遠くに行ってしまいたいっていう描写が素晴らしい。

ArispiA