旅立ちの時
〜モラハラからの脱却〜


ArispiAです。
5月末に香港・マカオ一人旅に行ってきました🐈
誰も頼る人がいない中逃げずに向き合った結果、激痛を伴う清算で始まり、思いもかけない素晴らしい報酬で終わった忘れがたい旅になったのでした。

あれからひと月が経ち、今は7月。
この夏もまた去年同様、山にいます。メンバーが一新されたこともあり集中できる静かな時間がたっぷりあるので、アウトプットモードへと舵を切り、令和初のあの旅を振り返っていきたいと思います。それがこの夏、私に課された一番の課題だと思うので、怠けず、貪らず、情報の渦に振り回されず、粛々と。
ここではこれまで以上にほんとの気持ちを偽らず書いていくつもりです。
というのも、入山初日、寮の部屋に置かれていた般若心経に関する本を何気なく開いたところ、般若心経のまさに出だしの文言、「仏説」の解説にあった言葉がやけに胸をついてきたから。

 アナウンサーは、言葉を話すことを仕事にしています。アナウンサーが話すときは「明るく、正しく、わかりよく」という三つの原則を忘れてはいけないのだそうです。
 しかし、それだけでは人に感動を与えることはできません。自分の経験からくる真実の言葉、本心から思わず口を突いて出る言葉には説得力があります。人を説得できる言葉には「真理」が含まれているからです。

声を出して覚える般若心経

これから私が書く言葉は、暗く、まちがってて、わかりづらいかもしれない。
全然爽やかじゃなくて、愚痴みたいなところもあって、読む人を不快にさせるかもしれない。
だけど、自分の経験からきた本当に感じたことを綴った言葉だから、そこにはきっと真理が含まれてるはずで、それを伝えたい、忘れないうちに残しておきたい、同じような思いをした人に何か感じてほしい。そう思ったので、丹念に、根気よく掘り起こしていきます。

△+△

実は、18年ぶりに行った海外、1月の台湾旅行の帰りに、もう今回の香港行きのチケットを購入していた。
とにかく航空券が、安い。宿も安い。アジアに限っては、国内旅行するよりも海外旅行する方が安く済むという事実を知って本当にびっくりしてしまい、また次々と行こうと心に火がついてしまったのだった。

京都行きの新幹線が片道13,000円であることを考えると、、

知らない街を歩き、知らない人々を見て、ただ異国の空気を感じたい、そこから何かインスピレーションとか、今いる場所との違いを感じ取りたいという、そんなふわふわした理由しかない。でもそれって、旅する理由としては充分なんじゃないかと思うのです。

と、そこにちょっとケチをつけてくる人がいた。

「こないだ行ったばかりじゃない?
バイトなのに結構な頻度で旅行に行っててすごいな」

バイトだからオフシーズンにまとまった休みが取れるのでして。
それに貧乏旅行なので、、9日で6万とか。。

「6万も使えねえよ!1年に一度でもないのに」

実家だからなせる技ですよと言うと、家にお金入れてるよね?とか聞いてくる。

以前の私だったら、そういった言葉に対してバツの悪そうな顔をしたり、あせったり、肩身の狭い思いをしたりしたのだけど、今回はただ、なんか嫌だな、という感じがした。
嫌味っぽいなという感じがしたし、覚えたての英語で「It’s non of your buisiness:あなたには関係ないでしょ」って言いたくなってしまった。

1月の台湾旅行でお世話になった旅人なんて、また5月から台湾に行き、今度は3ヶ月も滞在するのだと言う。安いゲストハウスに泊まり、その間なーんにもせず、たっぷり寝て、ただ映画見たり本読んだりカフェでのんびりしたりすると。
それに比べたら、私の9日間のトリップなんてあまりにもちっぽけだという気がした。

「のんびりするなら最低1ヶ月はいないと~」
「なんか嫌味を言ってくる人には言ってやればいいのよ。
ごめんなさ〜い、旅するだけの余裕があるんで!って。」

そう言いながらケラケラ笑ってて、この人すごいなぁって思ったし、そういう話を聞くことで、私の価値観も知らず知らず変わってきていたのかもしれない。

そのような下地があった上で、事は起こった。

彼女の同僚が拾った5匹の子猫を引き取るか、引き取らないか。
そんなことが引き金となり、ばぁっと矢継ぎ早にまくし立てられ、怒られたのだった。
子猫を1匹引き取りたい!引き取ります!と言ったものの親は猛反対。根負けしそうな雰囲気があったけど子猫の件を聞いたのは香港に行く二日前の出来事で、二日では親を完全に説得しきれなかった。
親を説得しきれていない、そのことはちゃんと伝えていた。
でも彼女の頭の中では完全に私が引き取る、ということになっていた。
私が引き取りたい引き取りたいと言ってばかりで「ダメな場合もある」としっかり伝えなかったのが全くもっていけなかったと思う。
香港行きの準備もあり、丸一日返事ができなかったこともとても悪かったと思う。

香港に行く朝、「私は子猫を引き取りたい気持ちでいっぱいだけど、親はまだ説得できていない状況です」とあやまるとものすごく怒られた。
曖昧なまま9日間も旅行に行く、ということが許せなかったようだ。
「最後に「やっぱりだめでした」はなしだよ」と言われ、自分の軽率な行動をあやまった。でも、あやまっても許してくれず、理路整然と、責める、嫌味を言う、その文字がグサグサと心に突き刺さってきた。

「やっぱりいい加減だね」「生き物だよ?」
「さすがに呆れたわ」
「自分以外にいい加減って分かっていて頼んだ私が悪かった。ごめんなさい。」
「今回の件で少なからず私の信用も落ちるということ
3時間は覚えておいて」

成田空港へと向かう電車の中で、スマホを持つ手が震えるほど、辛かった。

その後ちょっとしてから「もう怒ってないから」「せっかく行くんだからニコニコして行ってらっしゃい」と送られてきたけど、逆にここで何かがぷつんと切れてしまった。

空港行きのリムジンバスで涙が止まらない。
飛行機の中でも3人席の中国人カップルの隣で涙が止まらない。
ネットも遮断された状態で一人でいたから、気分を紛らすことができず、昔のことまで次々と思い出されて、さらに泣けてしまった。

封印してたトラウマが蘇ってきてもうダメだった。

そうやって怒りを鎮めて気遣ってくれたその人に申し訳ない気持ちもあったけど、もう無理だと思ってしまった。自分の心が拒否していた。
私が全面的に悪いという場面で、ここぞとばかりに正義のように言葉の刃を振りかざす。それはでも、もしかして日頃の鬱憤の憂さ晴らしも入っているかもしれない。そんな疑念が湧いてきてしまったのだ。

過去に何度も、そんなことがあったから。
もう随分前にさかのぼるけど、その時はもっと酷かった。
当時のことを思い出すと、今でも涙がこみ上げてくる。
仕事のことで、プライベートのことで、何か私の欠陥が見つかると、叱責され、暴言を吐かれ、ため息をつかれ、嫌味を言われ、でも翌日にはけろっとして楽しげに話しかけてきたりする。

周りの人は心配してくれたし、私の扱いがひどいことでその人の評判が悪くなったりしていたけど、私は最後までその人を嫌わなかった。
いつも酷いわけじゃなくて、褒めてくれたり笑わせてくれることもあったから。
怒られるのは自分がダメだからだと思ったし、自分がひどいからだと思った。

でも心の底では、自分はそこまでダメではないと思っていたから、ダメ出しされた所を忘れて同じことを繰り返したり、言われた通りに行動しなかったりして、さらに怒られたり呆れられたりしていた。

「言葉に誠意がない」「はいと言ってるだけ」「悪意のない悪が一番悪い」そんなことを言われたように思う。

それでも、怒られている時は悲しい顔をして、からかわれている時は笑って、褒められた時には喜びを表現し、やり過ごしていた。

犬みたいに。
服従してたんだ。犬はとても高等で素晴らしい生き物だと思うけど、人間は犬じゃない。
何千年も前ならいざ知らず、進化した現代人は確固たる個人として自立し、誰かに絶対的な忠誠を誓うこともないし、嫌な思いをしたら嫌だと伝え、尊厳を踏みにじられたら怒り、離れていくものなのだ。
それをせずにいたから、その人に自分は間違ってない、相手もこれで満足してるんだと思わせて、歪な関係を作り上げてしまった。このことは自分に非があると思う。

異国の地で一人、ふらふら歩きながら、過去の記憶がとめどなく蘇り、そして気づいてしまった。
家で苦しくてずっと泣いて、でも私が悪かったんだからと諦め、翌日には忘れたふりをして楽しく笑っていたけど、その繰り返しが、本当はこたえていたんだった。

本当はずっと、許せなかったんだ。

心の奥底にそんな暗い思いが渦巻いていたことに、何より自分がびっくりした。

△+△

香港ゲストハウスの超狭い個室の中で、唸り声を上げる扇風機の風にあたりながら、相当迷った挙句、長文にて自分の思いを書いて送った。あやまって、縁を切りたいと伝え、返事を待たずブロックした。

なんか言ったらものすごい反論されるんじゃないか、すごい剣幕で論破されさらに傷つけられるんじゃないかと怯えて言えなかった数々の思い。
でも、私が悪いかどうかは置いといて、ともかく私の心はとても苦しい、辛い、もう嫌だと泣いて訴えれば良かったんだ。もっとずっと早い段階で。そしたらあるいは態度を改めてくれ、対等な関係が築けたかもしれない。

でももう、何をどうやっても取り返しがつかない。

一度でも心に大きな傷を受けてしまうと、その後どんなに楽しい思い出で上塗りされたとしても、もともとの地盤がしっかりしてないから、大雨が降ったら土砂崩れみたいに崩壊してしまうんだな、とそんな風に思った。

でも。

もしその人…先輩がアリスピアに興味持ってくれて、応援してくれてたりYoutubeやブログの感想を辛口であってもくれたりしてたら、縁を切ることはできなかったかなぁ。。とも思う。私は先輩の夢を追った第二の人生に興味津々だったけど、先輩は私の活動には全然興味ないみたいだった。だからこういう思い切ったことができたのかもしれない。

△+△

話がそれるけど、そんなことが起こる数日前に、とある占いの鑑定結果が送られてきていた。

潜在能力開花トランスミットリーディング」。。怪しげでしょうか…?

ずっとブログなどを見てて、この人の言葉は信用できるなと思ったので、13,600円と高額であったけど思い切って申し込んだんだった。占いに500円以上かけたのは初めてかもしれない。
そこで受け取った言葉に最初はピンときていなかったけど、今回やっとああこういうことなんだと、腑に落ちた。

『ArispiAさんが潜在能力を開花させる上で、とても重要になるのが「集団性(人間関係)」です。 

理想を明確にイメージし、自分の能力を洗練させ、集団(コミュニティー)の中で自分の才能を発揮すること。 

今現在、ArispiAさんのMC にキロンがコンジャンクションしていますので、自己超越のポイントに取り組むタイミングとなっています。7 ハウス(人間関係のハウス)に土星と冥王星が入室したところでもあり、これから2 年~3 年を掛けて人間関係を変化させ再構築する時です。人間関係に関する試練的なものが訪れることもあるかもしれません。 自分の個性をしっかりと出せる環境で、仲間と協力すること。 

自己実現を目指して積極的に行動する。 
世界の多彩さを見て感性を養い、自分の中にあるものと結び付ける。思い付く沢山のアイデアや可能性を実行すること。 
いろいろな可能性に次々とチャレンジしていくことで、可能性が可能性を呼び発展していきます。 

激しい努力をした結果、ドラゴンヘッドが示す夢を叶えて自分の居場所を創るという願いが叶う。

どれだけの収穫になるかは、自分の才能を使ってどれだけ人を豊かにしたかに掛かっています。 』

https://info.il-lume.tokyo

ひとり行動が好きな自分にとって、人間関係が肝になるとは思ってもみなかったけど、これまでの人生を振り返ってみると、自分を偽ったために人間関係で苦い思いをしたことが幾度もあった。
これぞ理想のコミュニティ、この人たちと一生付き合っていきたい、繋がっていたい、そんな風に確信を持てるものにも未だ出会えていない。
いつもどこでもなにかちょっと違うなぁという気持ちを持っていたり、孤独を感じていた。

そもそも、アリスピアの存在を家族や仕事場の人はもちろん友達にすらほとんど明かしていない。家で何してるか、将来の目標は、打ち込んでることは、などという話題があると愛想笑いを浮かべて曖昧に答えるだけの自分は全然魅力的じゃない。怠け者で退屈で信念がない人のように思わてるんだろうなぁと思って、悲しくなる。
でも、本当の自分を晒すのは恥ずかしいという思いが強くて言えないでいる。本当の自分を晒すには適さない人だという思いもあるのかもしれない。

人と深く関わることが苦手であるため常にアウェーな感覚があったり、自分の居場所(ホーム)が無い様に感じ、集団(コミュニティー)の中で自分を出せず、結果、自分の才能を発揮することが出来ない傾向にあるかもしれません。 

まさにそうなんだ。
自分のいたい場所はここじゃないと分かっているのに、妥協して笑っている場面を今までどれだけ積み上げてきただろう。
心の隙間を埋めるのは映画や音楽で十分とばかりに諦めて、改善することもしない怠惰さ。来る者を拒むことができない気の弱さによって、どれだけ多くの時間を無駄にしてきただろう。

準備にとりかからなくちゃ。
お互いの才能を認め合い、協力し合える人間関係を築いて、本当にこれが自分のホームだと確信の持てる居場所を見つける旅に、今すぐ出なくちゃならない。
あてずっぽうの旅ではない。すでに良い兆しは見えている。

残された時間が有限であることにもようやく気づいてきたから、悠長なことは言ってられない。時には少々無茶に思える大きな舵取りも必要になってくる。
曖昧なままにして、無駄な時間を過ごしたくないんだ。

ごめんなさい、ありがとうございました。
次会うときは、来世で。
今度はちゃんと伝えるから。
それで何のわだかまりもなく笑いあって、いつか誘ってくれたスカイダイビングしましょう。
青い空がきっと眩しくて、気分爽快だ。


さよなら。さよなら。さよなら。

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