“勝ちぐせ” をつけろ

年末に立ち退いたアパート。
そこでは今時珍しく、大家さんとの交流があった。

越してきてすぐ大家さん訪問があった時は面食らったけど、一番新しく入居したのが私で、バイト暮らしのこととかも話したら不憫に思ってくれたみたいで、お寿司をご馳走してくれたりしてくれた。

すかさず突っ込んでくれるツッコミ体質の面白い人だったので、初めて会った時から盛大に私のことをいじりたおしてきて、ペースに乗せられて笑っちゃう感じで。

大家さんは、実家に帰る私を除くアパートの住人全員の部屋探しを見学から契約まで全て手伝ったそうで、それ聞いてびっくりした。ここ東京でそんなことってあるんだと。
前に一人暮らししていた所は新築マンションだったので一切そういうことはなかったけど、この築46年の家ではそういうことが起こりうるのか。。。

前回の日記で紹介したがらんどうのアパートでの演奏動画も、大家さんのご厚意でピアノの移動日だけ引越しから数日後にしてもらって、その間に撮影したんだった。

その上、大家さんが持つ静岡の別荘、どうせ使ってないからタダで使っていいよと言われ、住人全員がそのような誘いを受けた中、実際行ったのは私だけだったそうなのだけど、自分は図々しいのか、1月に喜び勇んで行ってきました。せっかくなので連休取ってパソコンを持ち込み「創作活動」の名目で6日間も。

源泉掛け流しの温泉施設のある海の見える絶景マンションとのことで!

そこに置いてあった昔の本。
タイトルが気になって思わずページをめくる。

負け猫を名乗り、自他共に負けぐせのついている自分にとってはかなりインパクトの強い言葉だった。。

“成功者は行動し、敗北者はただ夢を見る”

とか、グサァっと、きたよね。

他にもこれから生きていく上での指針にしていきたい言葉があったので、長いけど引用して終わりたいと思います。
ちょっと上から目線だけど人間愛に溢れたエルビン・フェルトナー氏の自己啓発本『”勝ちぐせ” をつけろ』から。

成功者になるには、まず自分という人間が好きでなければならないと考えてよい。自分の受けた生は、この世で何ものにも代えがたく、最大限に活かすだけの価値があり、また与えられた肉体は、生を行使するのに、きわめて適した手段だから、常にベスト・コンディションにしておくべきだ、といささかの疑いもなく信じられる人間でなければならない。

これは容易なようで、実はそうではない。無意識のうちに信じられねばならないのだが、またその無意識というのが、われわれのコントロールの全くきかない部分だからだ。まさしくここに難関が横たわっている。

残念ながら、本心では自分を嫌っている人が多い。自分では好きだと思っているが、行動が、そうでないことを示している。数え切れないほどの大人たちが、ほとんどの時間を、徐々に身を滅ぼすようなことをしながら過ごしている。有害とわかっている物質を体いっぱいにつめこんだり、肉体的な快楽にのめりこんだり、怠惰な生活で気力が萎えてしまったりという具合に。何一つ集中できず、頭がバカになっているから、自分の可能性を充分に認識することができない。

自分なんかとるに足らない人間だ、能力もないし、気が弱すぎて大きく生きることなんでできやしないという、これが負け猫の弁でなくて何だろう。何かするには、自分の行動はすべて、世界中で一番かけがえのない人間である自分のためになっている、という信念がなくてはならないというのに。こんなことでは、誰のためにもベストを尽くすことなどできるはずがないではないか。

どうしたら信念を培い、強くし、無意識をもそれに従わせることができるだろうか?自分自身に素直であることだ。本能のいうことをよくきくこと。意思に反することをするのではなく、自分が正しいと感じたことを行うこと。そして自分の内にあって、よしあしの判断をしてくれる心の声を黙らせず、それに耳を傾けること。これが大事だ。

自分を素晴らしい人間だと思えるようになってはじめて、自分のために努力するのが当たり前になる。

 

※自分への戒めとして、”負け犬” の箇所を “負け猫”に替えさせていただきました(Ꙭ;)

ArispiA

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